河野美術館
津 山 市 観 光 協 会

河野美術館
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絵画
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河野美術館
開館時間:午前10時〜午後5時
開館日:土、日、のみ、入場無料
TEL:0868-23-4285
河野美術館

津山市観光協会
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椅子をつくる
椅子をつくる、100号F 1973年東光展

イギリスのオックスフォードへの道筋にある村....
エリザベス朝のたたずまいがそのまま凝固したようにナショナルトラストで保存されている
椅子づくりの職人たちが昔のままに仕事を続けていた
イングリッシュゴチック、チュードル、エリザベーザン、ヂャコビアン、レストレーション、ジョージアン、チッペンディール……昔、昔の学生時代の家具の講義が思いだされたが。――

タタールの女――コサックに捕えられた王族の妻、という設定での私の労作
この衣裳は上から下まで例の如くいい御機嫌で作ったもの、”現実逃避”の産物である
制作したこの作品も凝りにこってこれまた”現実逃避”の産物である、これを身につけ舞台に立って激情をほとぼらせた
この広い草原を、ウクライナの大地を、お前たちのものだと言っているのは勝手だが、このタタールもこの大地に生きている
この大地に生きているタタールが、おめおめと命ごいをするとはよもや思うまい、コサックにはコサックの誇りがあるように、タタールにも誇りがある
いいか、お前はやがて私に膝まづくことになろう、 罠に掛かって捕まった子鼠に噛みつかれることになるだろう、噛みつかれたらもうおしまい――
毒が体中にひろがってゆく。その毒は、えもいわれぬほど甘くかぐわしい香りがする――”
この当の本人はすでに遠くに住まいし、おだやかな家庭生活の中にあったので、沖縄からの学生に改めてモデルになってもらった
15世紀後半の、真横からの人物の上体を描く肖像の構図法を意識し、かつて藤島武二がやったように、一度はこういう装飾過多の古典的なものが描きたくて、やっと実現した――

異国の女
異国の女、100号F 1989 東光展

出を待つ
出を待つ 1975年 東光展

心ならずも故郷へ帰ってからは、たびたび”演劇”が画題となる
人にとっては特殊な世界のようだが、私にとってはほんとに身近な世界である
”余生を故郷でおくる”などというのんびりムードとは全く異なる厳しく激しく切迫した職場の環境の中で、さりとて自立して生活する力もない私が耐えることが出来たのは、私の第二期の演劇活動のせいである
ものを創りたい、表現したいという私の欲望に、演劇は格好の対象だった
絵の世界とは異なる生々しい官能性は強烈である
ドガ、ロートレック、マネー、ピカソ、ダリ、クレー、ミロ、ビュッフェ、シャガール……なんと多くの画家たちが演劇に直接のかかわりを持ち、それを画題にし、それによって新鮮な刺戟をその分野に与えたことか!

「幽玄花抄」の再演から。――衣裳の着こなしにも先天的なものがあるのか
私の苦心の作であるこのボロボロの衣裳を見事に着こなしてくれた
後ろにかかっている鱗文様の打掛けも、作るのに苦労したが描く時も特殊なテクニックを使って苦闘しながらも実は大いに勉強になると我慢しつづけた
この頃前後何年にもわたる一連の作品は、一年一作の制作の時間のやりくりに極度の神経を使った
勤務上の多忙と責任の重圧で精神的にも肉体的にも疲労の極限で、緊張の唯中にいる状態が続いていた
のんびり絵を描いて――などという生き方は、実は私の人生の中にはなかった
絵を描いていると楽しい――という人が沢山あるが、私は楽しいなどと思ったこともなかった
”物狂い”にならなかったのは、自分の人生に期待しない、いささか投げやりの生き方が幸いしたのだろう

物狂いの女
物狂いの女、1986年 東光展

粉 飾
粉 飾、1980年 東光展

何かを表現したい、つくりたいという欲望は強いようである
絵というものに限定する必要はない
ただ私は抽象的で鋭い精緻な頭脳を必要とする音楽には手も足も出ないけれど、身体表現や視覚的表現には大いに興味がある
私の絵のモデルの衣裳はすべて私自身の手づくりである
描く絵の対象となるものがすでに私の手で出来上っているために、表現意欲が二重になってうまくいく時とそれにこだわりすぎて苦労し失敗することもある
この手作りの総アプリケによる”うちかげ”はその最たるものだった――

西欧絵画の画集をめくってみると顔に表情のある表現のものが意外に多い
モナリザの微笑は有名であるが、悲哀、絶望、苦悩の表現は宗教画に当然として、バロコ、ロココの時代、17世紀のオランダ絵画など笑った顔、歌う顔などが沢山ある
あるのはあるが、現代絵画では否定的である
どうしてこんな”表情のある”顔を描いたのか私にもよくわからなかった
意図したわけではなく出来てしまったのである。あとで考えてみると理由はある
演劇OB公演「曠野よ果てしなく」で、私の作詞した主題歌を哀怨たる情感で歌いあげてくれたことがあったからである

放浪の楽師
放浪の楽師、1994年 東光展

ガラス器をつくる
ガラス器をつくる、100号F
2000年 東光展

コサック風に
コサック風に、100号F
1988年 東光展

スペインの鳥つかい
スペインの鳥つかい100号F
1969年 東光展

リハーサルの日
リハーサルの日、100号F
1978年 東光展

夏の夜の夢
夏の夜の夢、100号 F
1983年 東光展

画室の自画像
画室の自画像、100号 F
1957年 東光展

楽器と共に
楽器と共に、100号F
2006年 東光展

出を待つ三人
出を待つ三人、100号 F
1984年 東光展

舞台衣装
舞台衣装、100号 F
2005年 東光展