○石垣の刻印
石垣の築造工事は大規模な土木事業であり、統一的な指揮系統のもとで行われなければなしえないと同時に、実際の作業は当然多数の施工グループが参加しての分業によって行われたものと推定される
このことは石垣遺構自体から構築手順を探ることによって知られる場合もあるが、より明瞭な証左としては石垣面に残された刻印、いわゆる石印の存在があげられる
有名なものとしては天下普請によって築城された大坂城や篠山城の例があるが、津山城においても各所に様々な刻印を目にすることができる
津山城の石垣刻印についての本格的学術調査はこれまでのところ行われていない
ただ、平成10年6月から11年2月にかけてボランティア市民グループが生涯学習活動の一環として刻印の採集を行っており、貴重な成果であることからここに紹介することにしたい
刻印は不鮮明なものも分類すると全部で40種類が確認されている
円、三角形、正方形を基本とする幾何学的形態のものが大多数を占めるが、なかには小槌や軍配など石工の作業に関係する器物を象った印も見られる
1例だけしか発見されないものが多くある反面、三角形を2つ重ねた山形紋の22ケ所を筆頭に、丸にニや軍配などいくつかの印に限って多数の用例が見られるようである
部位ごとの石垣の構築順序や様式とそこに刻まれた刻印の挿別には何らかの相関関係があるものと思われるが、今回の調査では残念ながら発見箇所の記録が十分でないために許しい分析をすることができない、おおまかな傾向としては、西側に円や三角の分布が多いのに対して東側では正方形が頻出するようである
また、本丸西側の高石垣や冠木門枡形のように狭い範囲に多数の刻印が集中する箇所がある
前者では大小の三角を組み合わせた印が11個もあって同一刻印の最大の集中を示しているのに対して、後者では実に16種もの刻印が見られる
冠水門については大手の正門という特殊性から、必ずしも他の箇所のように単純な作業区分表示としての意味だけではないのかもしれない
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