作 州 か す り 物 語 2011.2/5(土)〜3/21(月)まで、津山郷土博物館3階展示室で展示中
それに伴い、2011.2/11(金)〜13(日)の3日間、作州かすり物語....作州絣実演・体験イベントが津山市観光センターでにぎやかに、行われました
作州かすり物語
平成23年2月5日(土)〜3月21日(月・祝)
開館時間 午前9時〜午後5時(入館はこご4時30分まで)
休館日 毎週月曜日、ただし3月21日(月・祝)は開館します
入館料 一般200円/高校生・大学生150円、中学生以下は無料
30人以上の団体:一般160円/高校・大学生120円
交通 JR 津山線津山駅から北へ徒歩15分
中国自動車道津山/津山・院庄各インターから車で15分
主催:津山市・津山市教育委員会
T"作州絣"誕生秘話
岡山県北部の津山市周辺の地域では、山陰の倉吉絣などの影響を受げて、古くから自家用に絣が織られていたといいます
第二次世界大戦後、伝統の技術の継承と津山市の産業復興を目指す動きの中で、この絣織物が注目されました
昭和26年(1951)に開設された岡山県工業試験場美作分場では、染料や耐久性などの実験から、新しい図柄の考案に至るまで、さまざまな研究が行われ、名前も新たに"作州絣"として世に出たのでした
最盛期の昭和30年(1955)頃には、十数軒の業者が年間5万反以上を生産し、各地で展示会が催されました
U作州絣織元・大一織物の奇跡
作州絣の誕生から最後の織元となるまで、一貫して深く関わられたのが大ー織物の杉原博氏です
明治43年(1910)備後絣の織元に生まれた杉原氏は、造園の道に進みますが、津山に住んだことをきっかげに県工業試験場美作分場での指導を依頼され、作州絣の誕生に携わるうちに、やがて自らも織元の経営者となります
時代の流れの中、同業者は次々と廃業し、昭和40年(1965)頃にはただ一軒の織元となりますが、絣の技術を守り続け、昭和56年(1981)岡山県の郷土伝統的工芸品の指定を受けました
絣の本質を理解し、こだわりを持ってとりくんだ杉原氏は生前、
「絣はどんな人にでもよく似合うんですよ、背の高い人、低い人、色白の人、浅黒い人、着る人の個性ぞ引き立てるのが絣なのです」
と、まるでわが子のこを語るように話されています
V作州絣の"今"
大一織物・杉原博氏の没後、残念ながら作州絣の新たな生産は、行われていません
多くの愛好者から望まれている作州絣復興への願いを込めて「作州かすり研究会」は、再生産の可能性を探る活動を行っています
(杉原氏のご遺族からお預かりした資料を、岡山県工業技術センターをはじめ専門家の方々のご協力を得て検証し、「作州絣の素材や工程を研究、伝統的な手織りの技術を倉吉絣に学んでいます
作州絣のこれからの物語にも、是非こ'注目ください
作州かすり物語
作州絣工房ひな屋
2011.2/13(日)

津山市観光センター
津山郷土博物館
作州かすり物語
作州絣を育てる会・作州かすり研究会
TEL 0868-66-2117
津山朝日新聞
津山市観光協会
....TOP....
ご意見、ご希望....
info@musicfactor.jp