岡山県 津山市観光協会
西東三鬼

西東三鬼資料展..津山郷土博物館3階にて展示中、2008年5月末日まで。

(展示を延長する場合もあります、問い合わせ下さい)

第15回西東三鬼賞の表彰式のもようと入選作品を掲載.. ......こちら
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西東三鬼 明治33年(1900)〜昭和37年(1962)
津山市南新座生まれ、津山中学校〜青山学院〜日本歯科医専卒。 シンガポールで歯科医院を開業するも、昼はゴルフに熱中、夜は近東の友人と交友し、 医業怠慢。

昭和3年、チフスに罹患、帰国し東京大森で開業。患者の勧めで俳句を作り始める。居所、職業を転々とする。

昭和8年「走馬燈」に作品発表を開始、

昭和9年「京大俳句」に投句、特選に選ばれ、以後ここを拠点に作品を発表するも、「京大俳句」は当局から「危険思想」と目され、

昭和15年、三鬼を含め、同人ら特高警察に検挙され、終刊(京大俳句事件)、三鬼は5年間執筆を禁止される。

戦後、作句を再開、俳誌「激浪」「断崖」を主宰、角川「俳句」編集長、「天狼」の創刊に中心的な役割を果たし、また現代俳句協会、俳人協会の設立にも中心的 な役割を果たした。

昭和37年4月1日没、胃がん62歳、葬儀は、角川書店本社屋上で、空前絶後の「俳壇葬」として行われました。
三鬼

安東次男(左)と西東三鬼(右)

昭和24年、寝屋川の香里園に住む三鬼を安東次男は卵(父親が鶏を飼っていた)を持って訪ねた...
「文学の話は一切せず、もっぱら津山の話ばかりした」(安東次男談)
津山郷土博物館 〒708-0022 津山市山下92 電話(0868)32-4567
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