西東三鬼 明治33年(1900)〜昭和37年(1962)
津山市南新座生まれ、津山中学校〜青山学院〜日本歯科医専卒。 シンガポールで歯科医院を開業するも、昼はゴルフに熱中、夜は近東の友人と交友し、
医業怠慢。
昭和3年、チフスに罹患、帰国し東京大森で開業。患者の勧めで俳句を作り始める。居所、職業を転々とする。
昭和8年「走馬燈」に作品発表を開始、
昭和9年「京大俳句」に投句、特選に選ばれ、以後ここを拠点に作品を発表するも、「京大俳句」は当局から「危険思想」と目され、
昭和15年、三鬼を含め、同人ら特高警察に検挙され、終刊(京大俳句事件)、三鬼は5年間執筆を禁止される。
戦後、作句を再開、俳誌「激浪」「断崖」を主宰、角川「俳句」編集長、「天狼」の創刊に中心的な役割を果たし、また現代俳句協会、俳人協会の設立にも中心的
な役割を果たした。
昭和37年4月1日没、胃がん62歳、葬儀は、角川書店本社屋上で、空前絶後の「俳壇葬」として行われました。
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