明治36年9月5日、青森市で代々鍛冶職を営んできた父棟方幸吉・母さだの三男として生まれ、明治43年4月に長嶋尋常小学校に入学し、3年生の頃から凧絵に興味を持ち、級友にかいてあげていたそうです。
17才の時に裁判所の弁護士控所に給仕として雇われ、暇な時や、早朝に合浦公園に出かけて写生をし、絵の勉強をしていました...ゴッホのヒマワリの複製を見て、深い感銘を受けたのもこの頃だそうです。
大正13年、21才の時、志を立てて上京し、今で言うフリーターで苦労しながら絵の勉強を続け、上京して5年目の昭和3年10月、第9回帝展に「雑園」(油絵)を出品し、見事入選します。
志功は「雑園」が入選する前から、版画に心をひかれていましたが、川上澄生氏の「初夏の風」という版画を見て感激し、初めて版画の道に入ります。
昭和4年に春陽会に版画4点が入選し、翌5年には、国画会に出品した版画4点が全部入選し、この頃から「版画」一筋に行くことを決心し、昭和11年4月に、国画会に「大和し美し」(版画巻)を出品して日本民芸館に買上げらました。
昭和27年4月、スイスのルガーノで開かれた第2回国際版画展で優秀賞を受賞、昭和30年7月、サンパウロ・ビエンナーレに「釈迦十大弟子」などを出品し、版画部門の最高賞を受賞しました。
翌31年6月、ベニス・ビエンナーレに「柳緑花紅頌」などを出品し、国際版画大賞を受賞し、世界の棟方としての地位を築いております。
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