津山郷土博物館
岡山県 津山市観光協会

津山郷土博物館
佐 野 綱 由

薄 田 泣 菫 の 津 山 訪 問

ついに入手できた
長年欲しかった明治三五年一月一日発行の雑誌「小天地」(薄田泣菫編集)である
なんというインターネットのすばらしさよ....百十年もの間(ほとんど四世代)、きれいな状態で雑誌を保存していた人に感謝である
これは確かに奇跡といえる..... この雑誌がなぜ欲しかったかというと、泣菫の有名な詩「公孫樹下にたちて」の初出であるばかりでなく、泣菫が津山市南新座(当時は苫田郡津山町)の竹内家を訪問し、七日間滞在したときの日記「作の七日」が同時掲載されているからである
泣菫は、京都にいたころ、下宿屋をしていた竹内文と知り合い、「姉」と慕っていた
日記には、明治三四年一〇月二九日夜、雨の中、開業して三年足らずの中国鉄道(いまのJR津山線)津山駅(いまの津山口駅)に降り立つところから始まって、町の様子、津山で最初の女学校の創設・経営に奮闘する竹内文とその家族、そして津山城跡、院庄、石山、衆楽園の様子が、若い詩人の感性で克明に綴られている
ちなみに、このとき津山駅に泣菫を出迎えた竹内文の二人の息子の下の子が、のちにコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ(現・新潮文庫)を我が国で最初に翻訳した延原謙である
「公孫樹下にたちて」の詩は、このとき通りかかった長法寺のイチョウを見て作られたもので、イチョウは現在も巨木として聳え、樹下に詩碑が建っている
また、初出の詩句は現行のものとはかなり異なり、その改変も興味深い
この長い詩は、当時の文学青年たちに熱狂的に受け入れられ、全文暗誦していたものも多く、ある著名な文学関係者たちの集まりで、辰野隆(東大フランス文学科教授)が出だしのくだりを唱えると、久保田万太郎(作家)が後に続き、ついに両者で合唱となって、その場にいた泣菫は、胸に余る感激で声も出せなくなって聞いていたという逸話もある

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