津山城(鶴山公園)鐘楼全自動撞木の設置について
津山城の鐘楼による時報は慶長十二年(1607)から始まったとされています
慶長十二年といえば津山城の築城に着手してからわずか三年後であり、その後慶長十七年までは鐘が津山城下に時を知らせていました
鐘から太鼓へと引き継がれ城下町のシンボルとして市民や津山を訪れる人々に親しまれてきました
太鼓での時報は以降二百六十年間にわたって続きましたが、明治四年に鐘に代わりその役目を終えることになりました(津山百聞録による)
以降、鐘楼の修復や破損など紆余曲折を経てきましたが、現在では津山城(鶴山公園)からの時報は途絶えています
平成九年(1997)二月に岡山県建設業協会津山支部・津山地区木材組合・津山瓦工事協同組合のご協力により鐘楼が復元した際は当協会職員により手動で時報を打っておりましたが、諸事情により約三年余りで中止となっております
そこで、市民の方々よりご要望も寄せられ、当協会が中心となり広く市民の方々のご寄付を基に自動撞木装置を設置し、再びご城下に鐘の音がよみがえり時報を聞くことができれば往時の風情を再現でき津山城(鶴山公園)に愛着心を育み市民文化の向上に資するものと確信しております
皆様方のご協力により沢山の浄財を頂きまして今日を迎える事が出来ました
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