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津山城の築城
慶長八年(1603)二月、森忠政が美作全国18万500石に封ぜられ入国した。忠政は清和源氏、八幡太郎義家の後裔
で、美濃金山城主森可成の六男に生まれ、可成のあとを継いだ兄長可の後嗣です
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天正10年(1582)織田信長に従って京都本能寺で討死した蘭丸、坊丸、力丸の三兄弟は忠政の実兄であります
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忠政は初め豊臣秀吉に用いられ、のち徳川家康に仕え、功をもって信濃川中島13万7500石の大名となっていました
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忠政は美作に入国すると院庄においてここに築城を企画したが国の中央にある鶴山が軍事上はもとより政治経済など諸般にわたっ
て府城の適地であることを認め、慶長九年秋、山名氏の旧塁の跡をもとに、ここに築城をはじめました
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全領内に令して士民の協力を求め、石材の多くは南部の大谷山、金屋山などに、木材は北部の山林をはじめ領内の各郡村から供出させ、起工から一三年を経た 元和二年(1616)三月に至って完成しました
森氏の家臣はもとより領内土民の総力を挙げての空前絶後の大事業でした
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また、築城とともに着手された城下の町造りも元和の末(1613頃)にはほぽできあがったが、さらに東、南、西に伸長し大成したのは寛文の中頃(1666頃)です
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