岡山県 津山市観光協会
城東むかし町協議会

前回 9月に続き....今回、2010.12.02(木)、出雲街道城東むかし町、第2回城東まちづくり協議会の施設管理者の研修会が「旧梶村邸」で行われました
前回は出雲街道を中心に研修会が行われましたが 今回は視点を変え人物からの視点で研修会が行われました

講師は、前回と同じく城東地区の稲垣精一さん、参加は「作州城東屋敷」「箕作阮甫」「城東むかし町家」の管理者等の面々で、(城東まっぷ)を資料に...研修会が行われました

2010.09.09(木)第1回城東まちづくり協議会の施設管理者の研修会..こちら

第2回城東まちづくり協議会施設管理者の研修会...2010.12/02(木) 旧梶村邸
城東まちづくり施設管理者の研修会
城東むかし町(旧梶村邸)
城東まちづくり施設管理者の研修会
研修会@
城東まちづくり施設管理者の研修会
研修会A
城東むかし町 見どころ・スポット 津山おくにじまん研究会 稲垣 精一
苅田酒造 入りロに青い「のれん」がかっています。屋号の栄屋と共に宝暦8年創業と染め抜きがあります。これは1758年、今から約250年前から続く造り酒屋です。 この家は城東の町家の中で象徴的な建物といえます。二階建ての軒が大変低いですね。これは前の出雲街道は参勤交代のお殿様が通った道で今の様な高い二階建ては建てられなかったのです。 そして入母屋の壁が皆繋がっており一戸建てが建てられなかった為、長屋形式になっています。さらに入り口が道路に面しています。これを「平入り」と言います。二階を見て下さい‥・壁が張り出していますね。「うだつ」の一種で防火用の袖壁です。 街道筋に沢山残っていますよ。東側の狭い小路の木戸門から風呂敷を持った小僧さんが飛び出してきそうな雰囲気のあるお勧め撮影スポットです。
くくり猿 火の見櫓がある城東屋敷付近を中心に家の軒先にお相撲さんの様な物がぶら下がっていますね。これはお猿さんです。猿は神話の世界から登場しますがこの「くくり壊」は魔よけで軒先に吊るしておくと災いを防いでくれる「守り猿」又願い事を書い て背中に付けておくと願いを叶えてくれる「願い獲」と言った意味があります。宗教的な事は別にして、これはこの一帯の中之町の婦人会のお母さん方が手作りで作っており、観光で来られる人への「癒し」です。‥・歓迎!
舟宿わかさや 大隈小路の東角にあります。南側の吉井川は高瀬舟が瀬戸内まで行き来しており、付近には船着場があり旅人の宿にもなっています。 二かいは非公開ですが天井が舟底を反したようにカーブしていたり、旦那衆が泊まる上段の間もあります。 またこの家は郷土の作家棟田 博(1908〜1988)が青春時代を過ごした所で、「分隊長の手記」「拝啓天皇陛下様」などの戦争文学、また「そしてお犬小屋は残った」「美作の国吉井川」など多数の作品を発表しています。 この家は現在レトロな雰囲気のイタリアンレストランになっています
大隈神社 大隈小路の北100メートル、こんもりと−した森を背景に津山藩主森忠政が城東地区の守り神として1620年この地に遷宮したものです。祭神は大国主命で、国作り、縁結びの神が祀られています。今も静かなたたずまいをみせています。「本殿」は「隅木入り春日造」と呼ばれ1686年に再建されました。 正面の「神門」は津山城の京町門そばの藩校「修道館」の校門が移築されたものです。西側の「昭徳館」は1903年(明治6年)津山尋常高等小学校の講堂を移築したもので、広さ230平方メートルあり柱を1本も使わないトラス工法と言われるものです。 東側の建物には1842年(天保13)製造の600Kの碑輿が保管されており、今年金箔が張り替えられ秋の祭りには燥びやかな姿が披露されました。 本殿、神門、昭徳館、神輿、境内は津山市の重要文化財に指定されています。
薬看板 「わかさや」の向かい側の壁に漆喰に掘り込んだ彫刻看板があります。鎮絵(こてえ)と呼ばれるもので「ひぜんぬり薬」「龍教○」「薄荷○」とあり、薬屋さんであることがわかりますね。「龍教○」の左に小文字で「さんぜんさんご血の道一切と○○○○」(○はきんそう)とあります。 血の道はめまい、頭痛、きんそうは切り傷のことです。この薬はすごい万能薬だと思いませんか。また袖壁には「鯉の滝登り」が彫られています。薬屋さんになぜ鯉の滝のぼりがあるのでしょうか?
鍛冶屋 旧城下の東の端に元禄時代(約300年前)から続く鍛冶屋さんが2軒もありますよ。伝統の技を引き継ぎ今も鎌、包丁など手作りです。鎌といえども沢山の工程があり(約13)、暖かみを感じますが切れ味抜群、丈夫で長持ちとの評判を得ています。 この家の目印は2階の屋根に「煙だし」の小さな屋根が乗っています。今は毎日仕事をされていませんが運がよければ作業の様子を見ることができます。
津山 城東地区ゆかりの人物について(幕末〜明治・大正・昭和)
箕作 阮甫 1799(寛政11)〜1863(文久3)幕末の外交政策携わった洋学者、翻訳家として多数の書物の出版、幕府の「藩所調所」教授、幕臣、一族、一門から日本の近代化に貢献した学者多数
津田 真道 1829(文政12)〜1903(明治36)箕作阮甫に洋学を学ぶ。、明治の啓蒙思想家、オランダ留学、福沢諭吉、箕作秋平、鱗祥らと「明六社」参加、衆議院議員、法学博士、男爵
植原六郎左衛門 1816(文化13)〜1868(明治元)津山神伝流の開祖、第10世宗師、砲術家
川村3兄弟 長男 清一 1881(明治14)〜1946(昭和21_)東大卒、植物学者、「キノコの博士」 次男 多実二1883(明治16)〜1964(昭和29)東大卒、動物学者、「小鳥の博土」   三男 福田邦三1896(明治29)〜1980(昭和55)東大卒、生理保健学者「医学博士」
父親の川村良次郎 神伝流第14世宗師、津山中学教師、 祖父の川村熊蔵  津山藩士
出 隆 1892(明治25)〜1980(昭和55)東大教授、哲学者、神伝流上級免許、ギリシャ哲学の権威
苅田アサノ 905(明治38)〜1973(昭和38)婦人運動家、津山高女一日本女大、衆議院議員
棟田 博 1908(明治41)〜1988(昭和63)戦争文学作家、「分隊長の手記」「拝啓天皇陛下様」「そしてお犬小屋は残った」「美作の国吉井川」
梶村平五郎 1853〜1916・良次1887〜1955  梶柑邸の豪商、実業家、津山ガス会社、津山撚糸会社創業パナマ帽子を製造、輸出
大田原豊一 1889(明治22)〜1948(昭和23)衛生学者、医学博士、熊本医大学長
直 頼高 1859〈安政6)〜  大隈神社神_官、中山神社神官、国学、漢籍を学び和歌、和文に長じ書も巧みであった。
尾上柴舟 1876(明治9)〜1957(昭和32)東大卒、歌人、書家、国文学者
武岡鶴代 明治28年〜昭和41年、 津山高女一東京音楽学校(東京芸大)。声楽家(ソプラノ)国立音楽大教軽、理事

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