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第26回義士親善友好都市交流会、忠臣蔵サミットin津山

第26回忠臣蔵サミットin津山が開催されました
平成26年11月14日(金)14:00〜17:10 (開場は13:30〜)
グリーンヒルズ津山リージョンセンター(津山市大田920)
問合せ先
津山市忠臣蔵サミット実行委員会事務局(津山市観光振興課内)
電話(0868)32−2082

平成元年、赤穂市(兵庫県)の呼びかけから、“赤穂義士ゆかりの地”の所在する全国の自治体によって創設された「義士親善友好都市交流会議(忠臣蔵サミット)」。
津山市も、赤穂浪士四十七士の茅野和助と神崎与五郎を輩出し、忠臣蔵ゆかりの地として名を連ねます。
そしていよいよ本年11月14日(金)、第26回のサミットが津山市で開催されました。
サミットでは、東京大学 山本博文教授による「忠臣蔵の真実−吉良邸討ち入りはなぜ行われたか」の記念講演も行われました。

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第26回義士親善友好都市交流会、開会の挨拶
忠臣蔵サミット

津山市市長挨拶

忠臣蔵サミット

赤穂市市長挨拶

忠臣蔵サミット

来賓挨拶

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忠臣蔵サミット参加都市の事例報告 (説明Wikipediaより)
@ 岡山県津山市

忠臣蔵サミット 県北の拠点として、商業は中心産業である。
古くから美作国津山藩の城下町として、また出雲街道の宿場町として、街道沿いには商家が建ち並び、商業は盛んであった。
旧出雲街道沿いに広がる市街地には多くの商店街が形成されていたが、モータリーゼーションの発達に伴う近年の郊外型ショッピングセンターの隆盛により利用は減少傾向にあった。
そのため再開発計画が進められ、1999年(平成11年)には中心施設である複合ショッピングビル「アルネ・津山」が天満屋を核にオープンした。
津山城址の鶴山公園や大名庭園の衆楽園といった城下町らしい名所・旧跡が点在する。
近年は、B'zの稲葉浩志の出身地として日本各地から訪れるファンも多く(津山観光協会作成の観光マップにも稲葉君メモリアルロードが掲載されている)、津山観光の大きな一翼を担っている。

A 北海道砂川市

忠臣蔵サミット 砂川市(すながわし)は北海道の空知総合振興局管内にある市。かつては石炭産業で栄えた。
現在は市内に菓子店が多いことから「砂川スイートロード」としてPRしている。
市名の由来は、アイヌ語の「オタ・ウシ・ナイ」(砂浜・についている・川)を意訳したもの。
なお、これを音訳した地名が「歌志内」である。
町の緑化に力を入れており、市民一人あたりの都市公園面積は日本一(2006年(平成18年)3月現在、189平方メートル)。

B 岩手県一関市

忠臣蔵サミット 現在の一関市は、2005年(平成17年)9月20日に7市町村の対等合併で出来た三代目の一関市である。
合併前の旧一関市を中心市とする一関都市圏は、南の宮城県金成町(現・栗原市の一部)から北の岩手県平泉町などを含む西磐井郡を中心とした地域であった。
しかし、実際に合併の対象となったのは、旧一関市の都市圏の範囲ではなく、旧磐井郡(西磐井郡および東磐井郡)の範囲であった。
東磐井郡では室根村が気仙沼都市圏に入っており、その他の東磐井郡の自治体も一関都市圏の範囲ではない例がいくつかあり、結果として旧磐井郡全域での合併はならなかったが、広大な市域を持つ自治体となり、宮城県と秋田県に接している。
人口は約12万人。岩手県の最南端に位置する一関市は、仙台と盛岡の中間地点、東北地方のほぼ中心に位置している。

C 茨城県笠間市

忠臣蔵サミット 笠間市(かさまし)は関東地方の北東部、茨城県の中部に位置する市である。
古くから日本三大稲荷に数えられる笠間稲荷神社の門前町として、また笠間城の城下町として栄えてきた。最近では笠間焼の生産地として知られ、春や秋に行われる陶器市の時期には、多くの観光客で賑わう。
2006年3月19日に笠間市(旧制)、旧西茨城郡(友部町、岩間町)の1市2町が新設合併し、新制の笠間市として発足した。
新笠間市の市庁舎は旧笠間市より人口が多く、地理的にも中央に位置する旧友部町に本庁舎が置かれている。
茨城県の中部に位置し、北西部に八溝山系が穏やかに連なる丘陵地帯で、西部には吾国山南西部には愛宕山が位置する。
北西部から東南部にかけては概ね平坦な台地が広がり、中央を涸沼川が北西部から東部にかけ貫流する。

D 東京都墨田区

忠臣蔵サミット 墨田区(すみだく)は、東京都の特別区のひとつで、23区東部に区分される。 また、全国的に有名な東京スカイツリーがある。
「おいてけ堀」など「本所七不思議」は、昔の墨田区が舞台である。
押上・業平橋地区では、自立式鉄塔としては世界一となる高さ634mの地上デジタル放送用タワー、東京スカイツリーが2012年5月に開業した。
観光と防災都市のシンボルにし、世界一の観光都市を目指すという。
墨田区が成立するまでは、区の北部(旧・向島区)と南部(旧・本所区)では、歴史に大きな違いが見られる。北部では、平安時代ごろには陸地化が進み、中世には荘園制度のもとでは下総国葛西御厨の一角にあり、葛西氏知行地の農村地帯として発展を遂げていた。
南部では牛島が700年代から牛の放牧地とされていた他はおおむね湿地帯であり、人が住むには極めて向かない土地であった。
こちらは北部とは異なり、中世では武蔵国江戸氏一族の知行地であった。
江戸中心部が1657年(明暦3年)の振袖火事によって焼け野原になったため、防災対策の一環として武家屋敷が当区南部へと移動することとなった。
同時に、竪川・大横川をはじめとする河川の掘削や南北割下水(今で言うところの北斎通り近辺に存在した。)や碁盤目状の道路の整備が行われた。

E 新潟県新発田市

忠臣蔵サミット 新発田市(しばたし)は、新潟県下越地方にある市である。
新潟市への通勤率は16.6%(平成22年国勢調査)。新発田市は越後平野の北部に位置する、新潟県北部の中核都市である。
市北西部には日本海に面した白砂浜海岸が広がり、東部には飯豊山、二王子岳などの山々がそびえ、街からその姿を望むことができる。
またこの地では加治川などを水源とした水田が広がっており、県下有数の良質な米(コシヒカリ)の産地としても知られる。
新発田藩の城下町として栄えた市街地は新発田城を代表とする歴史的建築物が多数あり、今も城下町当時の区割りや道、新発田川などの水路がかつての姿をとどめている。
明治から戦前にかけては軍都として、戦後は県北部の商業都市として発展した。その昭和の頃の面影を色濃く残す旧公設鮮魚市場や各商店街といった建物や街並みも多く残り、風情ある街にもなっている。

F 愛知県西尾市

忠臣蔵サミット 西尾市(にしおし)は、愛知県の中央を北から南へ流れる矢作川流域の南端にある市である。抹茶の生産地として知られる。
古代においては、西尾市中心部(八ツ面山の西側)にあたる地域は幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。
1564年に御剱八幡宮に奉納した鰐口の銘文には「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」とあり、この銘文がこれまで「西尾」の地名の初出とされていたが、2009年9月に横浜国立大学名誉教授の有光友學が発表した『今川義元書状』(江川文庫所蔵)に「西尾之御事」「西尾城」という記述があり、書状の内容から吉良氏が今川氏に反乱を起こした際のものとみられている。
吉良氏の反乱は天文18(1549)年と弘治元(1555)年の2度あり、書状の日付は「十月廿三日」で、この時期に反乱の佳境だった弘治元年のものと判断されている。
現時点では西尾の地名が歴史に現れる最初の史料になっている。

G 兵庫県加西市

忠臣蔵サミット 加西市(かさいし)は、兵庫県の南部に位置する市。
地域的には東播磨(東播)または北播磨(北播)である。
播磨平野のほぼ中央に位置する市。
兵庫県立フラワーセンターを有する緑豊かな都市である。
播磨地方の中心都市姫路市の東隣にあり、姫路のベッドタウンとしての性格が強い。
加西アルプスハイキング「加西のアルプス」と呼ばれる山々が連なる景色を一望するコースがある。 古法華自然公園、広大な敷地いっぱいに花と緑があふれる公園。園内では、バーベキューやキャンプはもちろん大柳ダムから流れる小川で川遊びも楽しめます。

H 兵庫県篠山市

忠臣蔵サミット 篠山市(ささやまし)は、兵庫県中東部にある市。
自然環境の豊かな地域である。古来京都への交通の要として栄えてきた歴史があり、町並みや祭りなどに京文化の影響を色濃く残している。
そのため兵庫県でも旧丹波国に当たるため神戸より京都との方が結びつきが強い。気候は盆地特有の寒暖差が顕著で冬季の寒さは比較的厳しく、夏は高温・高湿であり、いわゆる内陸性気候に属する。
主な産業は、農業、観光業が中心となっているが、少子高齢化の影響により他の地域と同様に農業の衰退が顕著であり、産業面において構造転換を迫られている。
現在では観光と農業を組み合わせた観光農業(グリーンツーリズムの類)や、気候の寒暖差を活かした特産物の農業生産に移行しつつある。
例えば、丹波黒大豆の生産が全国的にも有名となっている。一方で山林の多くは杉・檜などの植林となっているが、木材価格の低迷や後継者難から主要な産業とはなっていない。
また、秋から冬にかけては盆地特有の濃い霧が発生する日が多く、低い山(盃ヶ岳など)からでも眺められる雲海は「丹波霧」とも呼ばれ名物にもなっている。

I 兵庫県加東市

忠臣蔵サミット 加東市(かとうし)は兵庫県中部に位置する市で、兵庫県北播磨県民局に区分されている。
兵庫県の中央部・播磨地方の東側に位置する人口約4万人の内陸都市であり、旧加東郡の社町、滝野町、東条町が2006年3月20日に合併して、新設された。
兵庫県の中心から少し南東にあり、隣接する自治体は篠山市、三田市、小野市、三木市、加西市、西脇市。
東西に中国自動車道が、西側にJR加古川線と一級河川である加古川、東経135度線が通る。
瀬戸内海性気候の為、1年を通じて温暖な気候である。
瀬戸内海から約30q離れているので瀬戸内海側と比較すると気温は低い。晩秋から冬期にかけて霧が発生しやすく、実際に発生する。

J 広島県三次市

忠臣蔵サミット 三次市(みよしし)は、広島県北部に位置する市で広島県北部の中心都市。
面積は2004年に周辺6町村と合併したときから近隣の6自治体と合併した新・庄原市が2005年に誕生するまでの1年間、中国地方の市では最大だった。
中国地方のほぼ真ん中に位置し,北部に中国山地を見上げ、南には平坦な農業地帯を有する。
隣接する庄原市とともに、備北地方と呼ばれる県北地域を形成する。
また、冬季には多量の降雪がある旧君田村・旧布野村・旧作木村域は豪雪地帯である。
江の川本流可愛川、及びその支流、馬洗川、西城川、神野瀬川が交わる盆地を中心とした地域。
河川の合流により夏場から秋にかけこの地方では珍しい霧が生じやすく、地元では霧の町とも呼んでいる。
初代三次市発足前は、馬洗川に架かる巴橋をはさんで、北側が三次町、南側が十日市町と独立した地方自治体でいわゆる双子町と言われる市街形態だった。

K 熊本県山鹿市

忠臣蔵サミット 山鹿市(やまがし)は、熊本県の北部に位置する市である。
山鹿温泉や山鹿灯籠まつりで知られる。
熊本県の北部の内陸部、熊本市から北側へ約30km、福岡市から南南東へ約90kmの場所に位置する。
市の北部から北東部にかけて福岡県と接しており、市の東端部ではわずかに大分県と接している。
河川としては、菊池川が中心部を流れる。
八千代座明治43年に建てられた芝居小屋。昭和40年代末には使用されなくなり、朽ち落ちる一歩手前になっていたが、市民の寄付活動により瓦の葺き替えが行なわれるなど、保存に向けての運動が行なわれ、昭和63年に国の重要文化財に指定された。
平成13年に保存修復工事が完了している。全国的にも希少となった伝統的な芝居小屋の様式を今日にも伝えており、今日でも歌舞伎公演のみならず、大衆演芸、コンサート、各種のシンポジウムなど、さまざまな文化活動の場として利用されている。

L 兵庫県赤穂市

忠臣蔵サミット 赤穂市(あこうし)は、兵庫県の南西部、岡山県との県境に位置する市。
瀬戸内海国立公園の一部を成す。西播磨県民局の管轄。旧赤穂郡。
のちに忠臣蔵として語り伝えられることとなる元禄赤穂事件ゆかりの地である。 毎年12月14日には赤穂市最大の催しとして赤穂義士祭が行われている。
古くから塩田が栄え、生産されている塩は「赤穂の塩」として全国に流通している。清流千種川(名水百選)の豊富な水系に恵まれた赤穂市は、市としては水道料金が西日本一安く、市内の随所にその遺構が残る赤穂上水(1616年築造)は、神田上水(東京都)福山上水(広島県)と並んで日本三大上水道のひとつに数えられる。
家島へ送られる海底送水管(延長約14km)は、日本国内最長、最大規模である。
播磨灘に注ぐ千種川の河口に広がる平野地に赤穂城を中心とした城下町の名残が残る市街地と、古い港町の町並み(都市景観100選)が美しく、牡蠣の養殖が盛んな坂越、瀬戸内海国立公園で赤穂温泉のある御崎などで知られる 赤穂市域の全部または一部はかつて、吉備国に属した。吉備国は弥生時代・古墳時代に筑紫・出雲・ヤマト・毛野などと並んで日本列島を代表する政権として繁栄し、ヤマトと連合して列島の統一・治世に貢献したが、吉備の興隆に脅威を感じたヤマトに勢力を削減され、備前・備中・備後・美作に分割され、さらに赤穂市域は播磨国へと移されることになったという。
これ以後、経済・文化の面で結びつきの強い旧吉備地域の政治的な統一は現在に至るまで達成されていない。

東京大学 山本博文教授による講演
「忠臣蔵の真実−吉良邸討ち入りはなぜ行われたか」記念講演

忠臣蔵サミット 山本博文やまもとひろふみ
東京大学史料編纂所教授、昭和32(1957)年、岡山県津山市に生まれる。
東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。専門は近世日本政治・外交史。
博士(文学)『江戸お留守居役の日記』により第40回日本エッセイストクラブ賞受賞。
主な著書に『れが本当の「忠臣蔵」』『「忠臣蔵」の決算書』『敗者の日本史15赤穂事件と四十六土』『武士道の名著』『島津義弘の賭け』『歴史をつかむ技法』など、訳書に『現代語訳武士道』がある。

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